消えゆく103系の思い出

こんばんは。先日奈良の103系2本が吹田へ帰らぬ旅に出ました。次の有料吹田公開で展示とのことなのでそれが最後の花道でしょうか。

近畿地区、それも大阪の中心部でも数年前まで見れたものの新型車の投入により急速に数を減らした103系、基本番台に至っては明石所属のR1編成6両のみとなってしまいました。そんな103系を簡単にですが中に人の思い出と一緒に綴っていきます。

まず阪和線の4連が2016年、6連が2017年7月で撤退。羽衣線のみ2018年まで残りました。阪和の103は写真の115-116を組んだHK610編成が両端先頭が日根野生え抜きということで人気がありました。

阪和線にも4ドア車による区間快速の運用が2本ありました。真面目に撮りたかったものの高校の頃だったので長期休暇以外撮りに行けるはずもなく...

続いて引退した大阪環状線。最後まで残った2本のうちLA3編成はOsaka Power Loopというラッピングをしてました。THE 大阪というのを表現していて結構好きでした。

2017年9月に運用離脱しました。

最後に引退した環状の103系、LA4編成。真ん中のサハ以外30Nという編成でした。

2017年10月3日に引退、これを持って森ノ宮から撤退しました。16/17Mとかいう大和路線直通の区間快速は2016年に42A+51Aと共に消滅してしまいましたね...あれも撮りたかった。

大和路線おおさか東線103系森ノ宮から201系転入によりおおさか東線の新大阪延伸を見ることなく撤退し2018年1月にNS6連は消滅しました。

前述した103系を2本つないだ通称4251が一番の印象ですね。日根野から来たNS414は結構長い間スカイブルーだったので混色も見られました。写真撮っとけこのドアホめ。なおこの後他線区に新車投入の煽りを受け4連も2本を残し廃車となりました。

羽衣線103系は2018年3月まで残りました。ここまで225系を投入するとは思いませんでしたがたかだが1本の為に103系残すのは非効率ですね。205系阪和線撤退も同時期でこの改正から阪和線4ドアは消滅しました。

阪和に225系、環状に323系投入によって日根野より205系森ノ宮より201系が転入しましたがここでなんと網干の223がAシート投入により2本不足。奈良の221が2本網干に行ったので置き換えるには2本足りません。その為103系4連2本が残りました。またそのうちNS409編成は一度吹田へ回送され廃車かと思われましたが奇跡の生還をしました。2020年に検査を受け近畿の103系では初の床下グレーが登場しました。

そんな彼らでしたが2022年のダイヤ改正で減便の煽りを受け定期運用から引退。結局その後一度も運用に入らず7月末に廃車回送となりました。ただ検査も近いのもありそうなので減便なくともどのみち廃車だったのでしょうか。

柏原(?)~西九条の間では区間快速/天王寺を表示。かつての4251を彷彿させる姿でした。撮るとこミスったなぁうん。(ただ実際のとこ4251は大和路線内は区快/環状が正当です)

最後まで残ったのはまさかの明石の103系。ひっそりと今日も走っています。日曜や川崎車両(元川崎重工)からの甲種がある時には山陽本線を爆走して車庫に帰ります。とんでもない奴が生き残ってます。日根野からR2編成が転属したものの速攻で追い返したR1編成、生命力が高い。

国鉄時代最多の両数を誇った103系も随分減ってしまいました。比較的原型に近い顔もR1編成のみです。記録はお早めに。

最後までご閲覧いただきありがとうございました。